第3号 発行年月
発行責任者
平成19年1月
吉祥寺住職 靈鷲照玄

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。このホームページは、「吉祥寺報」という檀家さん向けの新聞(第67号)の内容を、一部改訂して発信しています。新聞は季刊で発行しています。

さて、清水寺で行われる昨年一年の世相を表す漢字一文字は、「命」でした。この寺報でも命の大切さを発信しましたが、その後もいじめによる自殺や殺人事件が多発しました。その一方では「臓器売買」も報道され、「命」の問題がクローズアップされた一年だったと思います。それで「命」の問題についてもう少し続けて発信しようと考えていたところ、拙寺の若和尚夫妻に予定日より二週間早く、十二月二十四日に長男が誕生しました。

今まではお寺にとっては世間並みに「イブ」を楽しむ訳にはいかず、これで二十四日は誕生日として楽しむことができるようになりました。冗談はさておき、長男の誕生を喜んでいた矢先、拙寺に十五年前に拾われてきた猫「カルラ」が、三十日の夜家族にみとられながら静かに死にました。それで「いじめによる自殺」や「臓器売買」の問題は次の機会に譲って、今回は拙寺の猫の話をしたいと思います。

何故たわいもない事をと思われるでしょうが、二年半前、若和尚夫妻に長女が誕生したときには、十八年飼っていた犬「ゴン」が同じ月に死にました。何か不思議な命の縁を感じるものがあったからです。そのときの「吉祥寺報(第60号)」の控えを引っ張りだして読んでみると、「わが寺にとって、人と犬との違いこそあれ、ひとつの命が消えて、新たにひとつの命が生まれる般若心経にいうところの『不生不滅、不垢不浄、不増不減』を感ずる」と書いてありました。今回は猫ですが。

法話に来ていただく近くのお寺さんのところも猫をかわいがり、「家人は親が亡くなってもあまり悲しまないが、猫が死んだら悲しむ」と聴衆を笑わせていますが、まさにペットの癒し効果は抜群です。

お寺にはいろんな動物が捨てられてきます。猫や犬はよくあることですが、うさぎや鶏、リスなどもありました。拙寺の家人はみんな動物好きですので見て見ぬふりができず、飼うはめになるのですが飼うのが大変です。それで今では家人ひとりひとりに「マイ猫」がいます。



   カルラ

先の「カルラ」は私(住職)の妻の猫です。十五年前に私の妻が拾ってきた猫で、拾ってきた一年後くらいに交通事故にあい、骨盤を複雑骨折していたのを、先の犬「ゴン」が発見し、動物病院で大手術をし、一ヶ月くらい入院しました。獣医さんからはもとのようには動けないだろう言われましたが、外見からは障害はわからないほどに奇跡的に回復しました。この事件の半年くらい後に、私の妻は「胃がん」で胃を全摘する大手術をしたのですが、この「カルラ」の生命力・回復力に家人は勇気づけられました。このような「カルラ」でしたので、三十日には通夜をし、翌大晦日の忙しいなかを境内に掩土(えんど)し、大悲呪・回向をあげました。

次に母の猫「ビー」です。この猫も数年前交通事故にあって境内に蹲っていたのを母が拾ってきました。この猫は、事故のため顔が半分つぶされているので、隻眼で鼻も半分しかなく、歯もあまりない状態です。そのためか鳴き声が「ビー」と聞こえるので、「ビー」と名づけられました。この猫は、オス猫なのですが、大変気が優しくて、よく子猫を拾ってきては面倒をみてやっています。最近も子猫を拾ってきたので、家人といつ避妊手術をしてやろうかと話し合っているところです。

次に娘が大学生時代に、京都で飼っていたこれも捨て猫の「チー」です。子猫でしたので、「チー」と名づけたようです。汽車賃を払ってまで連れてきた京猫ですが、今ではその面影はなく豚猫になっています。オス猫なので去勢しているのですが、家の中の障子や襖・柱などを引っかきまわすし、餌をくれとばかりに家人に噛みつくしとなかなかの悪猫です。

このほか、家にいる猫とは別に近所の家で飼っていて、何かの事情で捨てられたと思われる猫が数匹きます。私が外猫までも餌をやるなというものだから、家人は一応隠れて餌をやっています。とはいうものの、猫の餌を店に飼いに行くのは私の役目です。

仏教では、動物のみならず、生きとし生けるものすべての「命」を大切にするよう教えていますが、捨て猫の数が多くて、餌をやるにしても、避妊手術をするにしても追いつかない状況で困っています。現実問題として、「命」を救うのも大変です。

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