当寺 は、禅宗(臨済宗)で、東福寺派に属し霊鷲山吉祥寺といいます。

私たちの宗派は、仏教の開祖であるお釈迦様、禅宗の開祖である達磨大師、臨済宗の開祖である臨済禅師、 さらに本山東福寺の開祖の聖一国師におよぶ一流の禅のなかで、坐禅を通じて悟りに至ろうとする宗派です。       

 本山東福寺は、 1239年(延応元年)の京都の東山に創建され、紅葉の名所として有名です。東福寺の山号は恵日山といい、 私たちの檀信徒組織である恵日会の名前の由来となっています。開山(寺を開いた僧)は、 日本最初の国師である聖一国師です。また開基(寺を創建したもの)は、九条道家公です。

 当寺の開山は、不肯正受和尚です。大分万寿寺開山で、本山東福寺第十世仏印禅師の弟子の一人です。開基は 大友八代氏時公で、1336年(延元元年)に、現在の別府ラクテンチ内に創建され、創建当時は、六院の支院 をもつ規模の寺であったと伝えられています。その後、大友家のキリシタン化や衰退などにより、 当寺も次第に衰退していき、天正14年の島津軍の侵入により、諸堂ことごとく灰燼に帰したと伝えられます。

 1588年(天正16年)に、中興開山(荒れ果てた寺等を再興した僧)月江和尚は、別府より檀信徒 とともに当地に移転して、当地が松原であったことから、 山号を霊鷲山から松原山に変え、再興をはかりました。以来250年にわたって、 歴代の和尚の努力により、往事を偲ばせるまでになりました。
 
 当山 第十五世仏母大和尚の代には、雲水(修行僧)が増大し、僧堂(修行道場)を開くまでになりました。 しかし、仏母大和尚が亡くなられた1854年(安政元年)の大地震で、 山門以外の諸堂は破壊され、 境内地は再び荒れ果ててしまいました。
 
 後に、第十六世原叟和尚は山号を再び霊鷲山にもどして再興をはかり、歴代の和尚と檀信徒の努力や 区画 整理事業等により、今日のように復興されました。        
 (当山二十世 照玄謹白)

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