目  次
戒名と は
忌中と喪 中
死後の世界
白隠禅師 坐禅和讃
お布施とは
お宅 のご本尊様
七仏 通戒偈の話
勤行の 仕方
精進料 理
お彼岸
大 般若について
墓地と納骨堂
千 の風
法事の話
因縁と宿 業のお話
仏の教え

  戒名とは

戒名と は、本来生前に仏教徒になったときに受ける名前で、受戒会がその儀式です。キリスト教でいうところの洗礼名と同じようなものです。ところが、仏教では亡く なった後で戒名をつけることが、一般的になったために、戒名は死者につける名前と思われるようになったのです。
さて、亡くなったときに葬式でお位牌に書かれる「戒名」と、授戒会でいただく「戒名」とは、意味が異なります。

 お位牌に書かれているいわゆる皆様が「戒名」と思っているものは、「位号」と「戒名」の二通りに分かれているのです。
 皆様方の仏壇のおかれているご先祖様のお位牌に書かれている「戒名」を調べてください。具体的に説明をしますと。

  一、○○院◎◎◆◆居士 あるいは○○院◎◎◆◆大姉
  二、◎◎◆◆居士 あるいは◎◎◆◆大姉
  三、◎◎◆◆信士 あるいは◎◎◆◆信女
 などの違いがあることがわかると思います。
 居士・信士は男性の場合で、大姉・信女は女性の場合です。
 このほか、子供の「戒名」がありますが、ここでは説明しません。

 一の「○○院〜居士(大姉)」場合を院号居士(大姉)号という位です。
 二の場合を居士号という位です。
 三の場合を信士号という位です。
 これらを称して「位号」といいます。
 このうち、戒名の部分とは厳密には、ここで表している◆◆の二文字をいい、◎◎の部分は「道号」といいますが、この戒名と道号を一緒にした◎◎◆◆を 「戒名」という場合もあります。このように、皆様が一般に思っている葬儀のときの「戒名」というのは、この「戒名」と「位号」が合わさってできているのです。

 このような「位号」に区別ができたのは、仏教徒としての信仰が篤いかどうかを計る為につくられたのです。さて、位号を簡単に説明しますと、

 院号は、天皇が隠居して上皇になったときに、お寺を創建して○○院とつけたところから始まりました。その後、お寺を創建した者(開基という)につけるよ うになり、これが江戸時代頃になると、お寺を創建したと同じくらい、お寺に非常な功績などをした者につけるようになったのです。今日では、お寺にそれ相当 に功績があった者に与えらます。

 軒(庵)号は、もともとは、文化人に付けられていました。また家一軒建てられるくらいの功績があった者につけられました。

 居士(大姉)号は、仏教徒として非常に徳のあるものにつけていました。例えば、維摩居士は、お釈迦様の高弟をやりこめるほど仏道に精通していたので、 「居士」と呼ばれたのです。そのくらい信仰のある者に付けられた位号です。

 信士(信女)号は、仏教徒として「戒」をまもり、仏道を実践している者(信者)につけられたものです。よって仏教徒として亡くなった者には、少なくとも信 士(信女)号がつけられます。よって当寺では信士(信女)号の「戒名料」は無料です。

 このほか、子供にはその年齢に応じて、童子・童女・孩子・孩女・嬰子・嬰女・水子などがあります。


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  忌中と 喪中 戻る
 忌中とは、仏教の教えでは中陰期間(四十九日間)をいいます。
中陰(中有ともいいます)とは、人が亡くなると、直に来世(六道)に生まれ変わるのではなく、仏様から審判を受ける期間です。だから遺族は、この間精進を して故人の冥福を祈るのです。

 すなわち、現世→中陰→来世を繰り返します。これを輪廻転生といいます。
 忌明けは、この忌が明ける、中陰期間が終わることで、満中陰ともいいます。この忌明けに「精進上げ」をするのが仏教の教えですが、今日では葬儀の終わっ たその日にすることが多くなってきています。精進する日がほとんどないのに、精進上げをしているのが実情です。

 満中陰(四十九日)が、三ヶ月にかかると悪いという風習がありますが、それは、仏教の教えではなく、「四十九」を「始終苦」と、また「三ヶ月」を「身に つく」と読みかえ、「始終苦が身につく」と困るといういわゆる語呂合わせからきた迷信です。
 また葬式も、「友引」にすると、友を引くから悪いので延期するという風習がありますが、これも仏教の教えではなく、「六曜」からきた迷信です。六曜で は、先勝→友引→先負と変わります。もともとは、先勝→共引→先負でしたが、「共」が「友」に変えられ、そのため「友を引く」と考えられた為に、この日に 葬式をすることを嫌うことになったようです。

 葬儀の後、「清めの塩」で身体を清める風習がありますが、この風習は神道の教えが基になっています。神道の黒不浄といって「死」を忌み嫌う思想からで す。仏教では、死は当然としていますので、この風習は必要ないものですが、皆様方の多くは、仏教徒であるとともに氏子です。いわゆる「神仏習合」の名残り の風習と考えますので、するしないは、どちらでもよいのではないかと思います。

 この忌中の期間中は、故人の冥福を祈る期間ですので、遺族は、すべての慶事への参加は差し控えたほうがよいでしょう。

 喪中とは、明治政府が、神道思想を基にして、明治七年に布告した「服忌令」によって確立されました。喪中期間は、亡くなった人によって期間が違っていま した。例えば、故人が夫や父母の場合は十三ヶ月、妻や子供の場合は九十日となっていましたが、戦後この法律は廃止されました。この法律による喪中の風習が 現在でも残っているようですが、現在では、喪中の対象者と期間は混乱しているようです。多くの場合一年間と考えられ、この喪中の間は、正月かざりや年始回 り、神社への初詣など、お祝い事は遠慮することが多いようです。それで年賀状の欠礼の挨拶を出しているようです。

 要は、故人に対する冥福を祈ることが目的ですので、その家の事情を考慮して、慶事への参加を考えればよいのではないでしょうか。例えば、親戚の結婚式の 参加については、喪中の期間であることを、相手方に伝えて了解を得れば、参加してもよいと思います。
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  死後の 世界 戻る
 仏教では、死後の世界を次のように考えています。
 人が亡くなったら直ぐに次の世界(六つあり、六道といいます)に往くのではなく、まず中陰(中有ともいう)の世界に四十九日間滞在して、その後死後の世 界の六つ世界のどれかに生まれ変わるとされます。

中陰の世界
 故人の生前の行いに対して、仏様が七日毎に七回裁判をして、故人の次の世界の往く先を決めるとされる期間。
 
 初七日を審判する仏様は、不動明王(秦広王)です。殺生の罪を審判し、極悪人は次の審判を受けずに地獄に落とされるとされています。普通の場合は、次の 審判の旅にでます。その途中に「三途の川」があり、奪衣婆が故人の着物を脱がせ、衣領樹の枝にそれをかけて、罪の計量をはかるとされています。またこの川 に「賽の河原」があるとされます。

 二七日は、釈迦如来(初江王)。三七日は、文殊菩薩(宋帝王)。四七日は、普賢菩薩(五官王)。五七日は、地蔵菩薩(閻魔王)。六七日は、弥勒菩薩(変 成王)。七七日は、薬師如来(泰山王)とされています。このように故人は七日毎七回審判されます。( )内の王は、中国で考えられた王様で、五七日の閻魔 様が「地獄の閻魔」あるいは「閻魔帳」として特に有名です。

死後の世界
 私たち凡人が先の審判を受けて往く死後の世界には六つあります。「上から天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界」です。これらの世界では、死 んでは生まれ変わることを繰り返します。(このことを輪廻転生といいます)
 このほか仏様がおられるという浄土があります。特に阿弥陀様がおられる「極楽浄土」が有名です。「天国」は、キリスト教でいう神の世界で、仏教ではいい ません。

 天上界とは、天人が住む世界で、天の羽衣の姿が有名。人間界より優れた世界。
 人間界とは、人間が住む世界。この世のことです。
 修羅界とは、絶えず争いをし、他人を許すことができない世界。「阿修羅の世界」。
 畜生界とは、人間に酷使される家畜など、苦しみの世界。
 餓鬼界とは、絶えず飢え苦しみ、満足のない世界。子供が常にひもじさ訴えることから子供のことを「ガキ」と呼ぶようになりました。
 地獄界とは、地下の牢獄で、大変苦しい世界で、極悪人が行くところです。いったんここに堕とされるなかなか次の世界に輪廻できないとされます。閻魔大王 がこの長です。

 仏教ではこのように考えていますが、禅宗では地獄・極楽はこの世の世界のことと捉えています。

 このようなお話があります。昔、ある武士が、禅師に尋ねました。「地獄・極楽はどこにありますか」と。
 禅師は、「地獄・極楽のありかを心配するなんて、お前はヘナチョコ武士じゃのう」と答えました。
 武士は、「武士を愚弄されては許せない」とばかりに、刀を抜いて禅師を切ろうしました。その刹那、禅師は、「それ、そこが地獄じゃ」といいました。
 武士は、はっと気がつき、禅師にこの行為をお詫びしました。
 禅師は、「それ、そこが極楽じゃ」といいました。

 地獄・極楽は、私たちの心のなかにあるのです。
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  白隠禅 師坐禅和讃意訳 戻る
 白隠禅師とは、江戸時代に活躍した臨済宗中興の祖といわれる禅僧です。坐禅和讃は、禅をわかり易く日本語で説いたお経です。 こ こでは、誤解を恐れずに簡潔に解釈しましたが、真意を理解したい方は、たくさんの関係した書籍がでていますので、そちらをお求めください。

我ら凡夫はもともと仏、仏と凡夫の関係は水と氷の関係のようなもので、
水を離れて氷がないように、我ら凡夫の外に仏はいない。
凡夫は自分のなかにある仏に気がつかずに、遠くに仏を求める愚かさよ。
それはあたかも水のなかにいて、喉の渇きを訴えるようなもの。
それは金持ちの子に生まれながら、乞食をしているようなもの。
六道輪廻のはじまりは、自分の愚かさ・煩悩により起こるゆえ、
煩悩に迷っておる凡夫は、いつまでもそこから離れられない。
尊い教えの「禅定」は、称える言葉もないくらいすばらしいもの。
「布施」や「持戒」の六波羅蜜、念仏、懴悔、修業など、
善い行いはたくさんあるが、ことごとく「坐禅」がそれらの根本。
たった一回だけの坐禅でも、たくさんの罪を滅ぼしさり、
悪い世界はどこにいったやら、浄土はすぐ足もとにある。
有り難くもこの御教えを、一度聞いただけで、
有り難いと感じる人は、幸せを得ること限りなし。
まして、自ら進んで坐禅をし、真実の自己を発見すれば、
おのずと自己は消え去り、言葉や理屈に縛られない。
因果の教えに目が開け、悟りの道がただ一筋に開く。
無相の真実をよく見れば、どこにいても我が家なり。
妄想を捨て、執着から離れれば、歌うも舞うも仏そのまま。
きれいな空高くに知慧の月が冴え渡るかのようになる。
この上一体なにを求めるのか、静かな境地にたたずめば、
今こそここが浄土で、この身がそのまま仏なり。

衆生・・・・・・・生命を有するものすべてをいう、ここでは凡夫と訳す。

六道輪廻・・・六道とは、「天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道」を
          いい、これらの六つの世界の中を凡夫は、永遠に生死をぐるぐると
          繰り返す。これを「輪廻転生」という。

六波羅蜜・・・悟りへの実践をいい、「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」の
          六つの徳目をいいます。

布施とは、あまねく施すことでしかも感謝の念による無功徳の行をいいます。
持戒とは、教え、きまりをまもることをいいます。
忍辱とは、侮辱、苦難に耐え忍ぶことをいいます。
精進とは、悟りの道をたゆまず実践していくことをいいます。
禅定とは、心静かに瞑想し、智慧を身につけることをいいます。
智慧とは、煩悩を断って悟りを完成するはたらきをいいます。

自性・・・・・ものそれ自体の本性。真実不変なる本性
無相・・・・・さまざまな相(姿)があるけれども、ものには固定的実体はない。
三昧・・・・・心が統一されて安らかな状態。禅定と同義語。
無礙・・・・・何ものにもとらわれずに自由自在であること。
四智・・・・・仏の智慧で、大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智をいう。

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  お布施 とは 戻る
 布施とは、仏道の修行でいう六波羅蜜(ろくはらみつ)の中の一つで、広く普く施すことをいい、僧侶に財物をあげることだけを 意味するものではありません。
 読経はこの布施行のひとつ(法施といいます)です。それはあくまで布施であって、読経に対する対価ではありませんから「読経料」という言い方はしませ ん。
 また「御仏前」は仏様に対する供養ですので、僧侶に対する場合には使いません。
 
 布施には、次の三施があります。
  財施(ざいせ)     物質的な施し
  法施(ほうせ)     精神的な施し(お経など)
  無畏施(むいせ)   不安を取り除くこと
 
 この外に、財なき者にもなしうる無財の七施があり、次の七つをいいます。
  身施(しんせ)     肉体による奉仕、その最高なるものが捨身行
  心施(しんせ)     他人などに対する思いやりの心
  眼施(げんせ)     他人にやさしい眼差しをかける
  和顔施(わげんせ)   他人に笑顔で接する
  言施(ごんせ)     他人に思いやりの言葉をかける
  牀座施(しょうざせ)  他人に席を譲る
  房舎施(ぼうしゃせ)  わが家を一夜の宿に貸す

 また布施行は慈善的行為ではなく、感謝の念による無功徳行でなければなりません。しかもお布施は「三輪清浄」といって、「施しをする者」、「施される 者」、「施物」の三つが清らかでなければならないとされます。だから、正しい施しとは、その報いを願わず清らかな慈悲の心を持って、他人も自分もともに悟 りにはいるよう願いながら行う修行として行うものです。また最上の施しとは、自ら進んでまた常に施し、しかも施した後に、悔いたり誇りがましく思わない、 施しをしたことすら忘れさる施しをいいます。
 
 昔、お釈迦様の弟子たちが、托鉢にでると、A町では、人々が集まってきてよく托鉢をしてくれるのですが、B町の人々は、托鉢に喜捨せず、その上弟子たち を追い払ってしまい、全然托鉢になりませんでした。それで弟子たちは、自然とB町には托鉢に行かなくなり、いつもA町に托鉢に行くようになりました。
 それを聞いたお釈迦様は、弟子たちに、托鉢は布施行であるのだから、人々が布施をするしないにかかわらず、人々に布施をする機会を均等に与えければなら ないと諭しました。
 それ以後、托鉢の行程は托鉢の上がりに関係なく、人々に布施の機会を平等に与えるように工夫され、今日にいたっています。
 
 また、「貧者の一灯」という説話があります。
 昔、インドにアジャータ王という王様がおりました。王様はお釈迦様をお城によび、仏教のお話を聞かれました。夜お釈迦様がお城からお釈迦様のお住まいで ある祇園精舎まで帰られる時、その長い道程に灯明を沢山点じて供養されました。当時の灯明は大変高価なものでした。これを見ていた貧しい老婆は、わずかな 乞食で貯めたお金で買ったただ一つの灯明を、お釈迦様に献じました。このとき強風が吹き、王様が献じた灯明は全て消えてしまいましたが、貧者の一灯だけは 消えずに明々とついていました。王様の布施は甚大であるが、心ひとつにされていない。それに対して老婆のそれは、心ひとつにされており、その功徳は王様の 功徳よりはるかに高いと。
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  お宅の ご本尊様 戻る
  お宅のご本尊様(仏様)の名前と呼び方は?

 お家の仏壇にお参りするときに、何と唱えればよいのか、またご本尊様が何という仏様なのか解らないという声がありますので、ここに各々家のご本尊様の呼 び名を示しておきます。

 皆様が仏様を呼ぶときによく知っている名前は、ナムアミダブツ(なまってナマンダブツともいいます)と思います。これは仏様が阿弥陀仏(あみだぶつ)の場合です。阿弥陀仏の名前の上に「南無」をつけて呼ぶからです。

  あなたのお家の仏様(ご本尊様)がお釈迦様の場合
 呼び名は、南無本師釈迦如来(なむほんすしゃかにょらい)あるいは南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)と呼びます

 お釈迦様は、仏教の開祖で、紀元前五世紀頃、インドの釈迦族の王子として生まれた、仏様としては唯一実在の人物です。如来と仏は同じ意味です。また牟尼 は聖者の意味です。

  他の 仏様(ご本尊様)の呼び方

 南無とは、帰依するという意味です。またここでは正式な呼び名ではなく略式な呼び名を示しています。 観世音菩薩(お観音様)ならば南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)と呼びます。お地蔵様の場合は、南無地蔵菩薩(なむじぞうぼさつ)といい、また薬師如来の場合は、南無薬師如来(なむやくしにょらい)といい、文殊菩薩(もんじゅぼさつ) の場合も、南無文殊菩薩(なむもんじゅぼさつ)と呼んでいいます。

 その他多くの仏様がおられますが、ここでは省略します。
 要は仏様の名前の前に「南無」をつけて呼ぶことです。
 
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 諸悪莫作(しょあくまくさ) 
 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
 自浄其意(じじょうごい) 
 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) 

 この短いお経は七仏通戒偈といいます。七仏とはお釈迦様が仏様となる前の過去七代の仏様のことで、仏様の総称を表しています。即ち伝授してこられた仏教 の教えの究極は何なのかを簡潔に言い表したお経です。

 諸悪莫作とは、もろもろの悪いことはしないようにしよう
 衆善奉行とは、もろもろの善いことばすすんでしよう。
 自浄其意とは、自らの心を徹底的に浄くしよう。
 是諸仏教とは、これが諸仏の教えですよということです。

 この七仏通戒偈のお経について、このようなエピソードがあります。簡潔に説明しますと。
 昔、中国の秦望山に道林和尚という禅僧が住んでいました。漢詩で有名な白楽天が知事としてこの地に赴任して来て、この和尚の高徳を聞き、さっそく和尚を 訪問した時のことです。

 白楽天はこの和尚に、「如何なるか是れ仏教の大意」と問いました。仏教の究極の教えは何ですかと問うたのです。
 この時、道林和尚は、「諸悪莫作 衆善奉行」と、この七仏通戒偈をもって答えました。

 これに対して、白楽天は、仏法についてもっと高遠な教理を聞けるものと思っていましたので、「その程度のことなら三歳の子供でも知っていることだ。仏教 とはそんなものか」と憤然として答えました。 すると、道林和尚は、「三歳の子供でもこれを知るといえども、八十の翁もなお行じがたし」と答えました。
 白楽天は、この答えに感ずるものがあり、これからこの和尚に帰依したと伝えられています。

 仏教の玄旨などといっても、別に高遠なところにあるのではなく、日常茶飯事(行住坐臥)のなかにあるのです。「悪いことをするな 善いことをせよ」、こ れで仏法はつきています。しかし、それを知識として知っているだけで、実行しないなら何の役にもたちません。だが実際にこれを実行するとなると、まことに 難しいものです。
 しかも表面的にこれを実行するのは道徳であって宗教ではありません。宗教たる所以は、「自浄其意」です。この実行にあたっては、私達の心が浄くなければ なりません。例えば自分の名誉(利益)のために、善いことをするのは、「自浄其意」でばありません。

 肝要なことは、煩悩におおわれた私達の心を、その心を清くすることです。清らかな心で、悪いことはせずに、善いことは進んでするのです。しかもそれを日 常的に徹底的に継続していくことです。これが、七仏通戒偈の教えです。

 私達凡夫にはなかなかできることではありません。しかし、せめて今日一日、いやこの一時間でも、心を清浄にしてみようではありませんか。

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  勤行の 仕方 戻る
 「勤行」とは、本来「精進」と同じ意味で、努め励むことですが、仏壇の前でお経を読むことをもいい、在家では朝晩の2回行う のが正式です。

 「お経」を読み方には、次の2通りあります。

 「諷経」 声を出して経文を読誦すること
 「看経」 本来は経文を目で見て黙読することでしたが、現在では諷経と同じ意味で使われているようです。

 お経の読み方は、古来より「シトシトと平穏に読むべし。口より出ずるままに、不正の声を出し、あるいは息遣い悪きこと謹むべし。」と言われ、また「お経 は耳で読め」と言われていますように、大勢で読む場合は、自分勝手に読むのではなく、お互いに声を揃えて調和を保つ事が肝要です。

 読むお経については、禅宗では決まりがありません。すべてのお経が大切なお経ですから、どのお経を読んでも結構ですが、ご本尊様に対しては、般若心経と 消災呪を読み、 先祖並びに亡者供養には、世尊偈と大悲呪を読む場合が多いようです。

  勤行 の仕方
 
1.仏壇を奇麗に掃除して、花は新しいものを供える。花は毒のあるものやとげの
  あるものなど人に危害を加えるものは供えない。
  ローソクに灯を点じ、線香一本(禅宗の場合いつでも線香は一本で結構です)
  を真っすぐに立てる。

2.正座して心を調え、合掌して深く頭を下げる(合掌礼拝)。

3.リンを三回鳴らして、お経を読み始める。声は朗々として腹の底から出す。

4.木魚を打つ場合は、大体漢字一字に木魚を一つ打つ。お経の初めと終わりは
  ゆっくり打つ。 お経を一人で読むときは、木魚は打たなくてもよい。

5.お経が終わったら、リンを三回鳴らして合掌礼拝する。

 お経本は、仏様の教えが説かれている本ですから丁重に扱い、読むときには両手で捧げて拝読しましょう。

 お経の意味が分かって、お経を読むにこしたことはありませんが、それよりもお経を信じて読むことが肝要です。

 それは、私たちが薬の効用を知らなくても、医者が調合した正しい薬を飲めば、病気が治るように、お経を信じて読めば、自然とお経の功徳がもたらされるも のなのです。
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  精進料 理と典座(てんぞ) 戻る
 精進料理といえば、一般に食材に肉や魚をいれない野菜中心の料理と理解されていますが、精進の意味は、「修行する」という意 味で、本来は修行するための、その上食材を生かしてつくる料理をいいます。そして、その料理を作る料理人のことを、僧堂(修業道場)では、典座といいま す。

 ところで、お釈迦様の時代では、僧が物を作ることや持つことは禁止されていましたので、僧が、食事を作ることもできませんでした。なぜなら、物を持った り、作ったりすることは、それらに対しての欲望や執着が起こるからです。そこで、当時の僧は、朝、街中に托鉢にでかけ、大衆から彼らが日常食している食べ 物をわけてもらい、それを朝と昼の二回に分けて食べていました。だからこの当時の僧の食事には、当然肉や魚がはいっていたといわれています。

 仏教では、正式な食事は朝と昼の二回です。今でも東南アジアの仏教僧は、この戒律を守っています。今日日本では、三回食事をしていますが、夕食のことを 「薬石」といいます。それは、昔夕食のかわりに温めた石を懐に抱いて、ひもじさをまぎらわせ、寒さから体を守っていたころの名残からです。「懐石」も同様 な意味です。

 仏教が広まるにつれ、修行僧が多くなり、托鉢だけでは修行僧の食事を賄えなくなりました。そこで、僧堂での生活を維持するための最低の自給自足、即ち穀 物や野菜などを作ることが許されるようになりました。最低の自給自足ですから、物は豊富にありません。それで、物を生かして作る、食材を工夫して作ること が大切になりました。例えば、建長寺汁(けんちんじる)は、建長寺の典座が、今まで捨てていた野菜の屑をどのように活用して、おいしくするかを工夫して考 えだした料理だから、建長寺汁といわれるようになりました。

 典座は、このように修行僧の命をあずかるばかりでなく、食材の命もあずかる仕事ですから、僧堂では大変重要な役です。それで永く修行された僧がその長に なります。

 曹洞宗を開いた道元禅師が、日本から中国(宋)に修行に行ったときのお話です。道元が乗った日本の舟が、中国に着き、検閲のためまだ上陸が許されず、舟で寝起きをしていたときのことです。その舟に椎茸を買いに来た中国の修行僧(老 僧)をみつけ、この僧に仏教の話をしてくれるように頼みました。この老僧は、阿育王寺の僧堂の典座でした。

 老僧は、「直ぐに僧堂に帰って食事の準備をしなければならないので、あなたとあまり仏教の話をしている暇がない。」と答えました。道元はなおも、「炊事 などは若い修行僧にまかせて、私にもっと仏教の話をしてください。」と頼みましたが、老僧は、「あなたは、まだ仏教の本質が解っていないようだ。」と答 え、もっと修行するよう諭して帰って行きました。

 その後、道元は上陸を許され、天童寺で修行することになりました。ここの典座も老僧でした。ある日この典座が、汗ダクダクになりながら、大変しんどそう に炎天下で椎茸を干しているところに、道元が出くわしました。
 道元は、この老僧に「こんな厳しい仕事は若い人にまかせてはどうでしょうか。またなにもこんな暑い日にしなくても、もつと良い日があるのではないでしょ うか。」と問いました。
 老僧は、「他人がやったのでは自分の修行にならない。今やらなければ、一体いつやるときがあるのか。」と答えました。

 私たちは、自分の命はこの一瞬しかないのに、明日があると思い、また面倒なことや苦労の多いことは、なるべく他人にやらせようとする、楽な方向に流れる 傾向にあります。道元禅師は、この時のことを、後日「典座教訓」として残し、修行僧の戒めとしました。
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  お彼岸 戻る
 今日彼岸 菩提の種を 蒔く日かな  (松尾 芭蕉)

 お彼岸は、年に春と秋の二回あり、春は「春分の日」、秋は「秋分の日」のお中日を真中にして、前後七日間の期間をいいます。
 この期間を仏教の修業期間としたのは、「春分の日」も「秋分の日」も、どちらも昼夜の長さが同じであり、太陽は真東から昇り、真西に沈むという自然現象 が、左にも右にも偏らない、「中道」という仏教の教えにかなうものとして、また阿弥陀様がおられる極楽浄土が真西にあるという浄土信仰から発展した日本独 自の仏教行事です。

「彼岸」とは、古代インド語のパーラミター(波羅蜜多)を「到彼岸」と訳したところから名付けられました。迷いや苦悩に満ちたこの世を、「川の此岸」にた とえ、これに対して、迷いや苦悩のないやすらぎの世界を、「川の反対の岸=彼岸」にたとえたものです。「到彼岸」とは、彼岸に到る即ちやすらぎの世界に到 ることで、その世界を目指して修業することもいいます。

 さて、まず俳句の意味を解説していきます。
 「菩提の種」とは、「仏心」あるいは「仏性」のことです。菩提和讃に、「衆生おのおの仏性を受けて生まれしもの」とあります。また坐禅和讃にも、「衆生 本来仏なり」と詠われているように、誰もが持っているものなのです。ただ我々凡夫はそれに気づかないだけなのです。まずその種を持っていることに気づかな ければなりません。
 次に「蒔く日かな」です。「蒔かぬ種は生えぬ」で、いくら立派な種を持っていても、それを蒔かなければなにもなりません。また蒔いたら、水をやったり、 肥料をやったりしなければ、よく成長しません。それと同じで、私達も「仏性」を持っているだけでは駄目で、成長するように行動、即ち「修行」が必要なので す。それが、次にあげる六の道です。

 彼岸に到る修業には次の六つの道(六波羅蜜)があります。

 第一の道は、布施(ふせ)です。
「布施」とは、人のために施しをするということです。「布」とは普くとか、広くとかの意味で、ある人には施し、ある人には施さないという場合や、物惜しみ をしながら施す場合は本当の「布施」ではありません。しかも布施をしたことさえも忘れることが大切です。「法句経」に、『分かち合うことによって物惜しみ にうち勝て』とあります。この物惜しみをする心=執着する心を捨てるための行為が「布施」でもあります。

 第二の道は、持戒(じかい)です。
「持戒」とは、戒=ルールを持ち、それを守るということです。このルールは他人からあるいは社会から決められたもの(例えば法律のようなもの)ではなく、 自らの願いによって決めるものです。「戒」を持つということは、自分の心を行動に現し、その行動の慎みによって自分の心を苦しみから解放するということで す。

 第三の道は、忍辱(にんにく)です。
「忍辱」とは、はずかしめを耐え忍ぶということです。仏教では、この世界のことを、娑婆世界といいますが、この意味は「忍耐すべき世界」(忍土)というこ とです。「沈黙している人も非難され、多く語る人も非難され、少し語る人も非難される。世に非難されない人はいない。ただ誹られるだけの人、また、ただ褒 められるだけの人は、過去にも、現在にも、未来にもいないであろう。」とお釈迦様が述べられていますように、世間にはいろんな人が集まっていて、自分のわ がままが通じないのです。だから自分のわがままをおさえる努力が大切です。

 第四の道は、精進(しょうじん)です。
「精進」とは、たえまなく努力をするということです。「精進」をすれば、「未だ生じない悪は生ぜしめず、すでに生じた悪を断じ、未だ生じない善を生じし め、すでに生じた善は増大せしめる」という功徳があります。「もし勤めて精進すれば即ち事として難きことなし。少水も常に流れて石を穿つがごとし」のよう にたゆまなく続けることが大切です。

 第五の道は、禅定(ぜんじょう)です。
「禅定」とは、身心を静かにすることです。「静慮」ともいいます。欲望や憎しみなどの煩悩の炎が消えた静かな世界(さとりの世界)をいいます。この静かな 世界を得るための方法として、禅宗では坐禅を大切にします。そして「坐禅和讃」にうたわれているように、「禅定」を仏道の修業の根本とします。「一時間の 坐禅をすれば一時間の仏、一日の坐禅をすれば一日の仏」といわれるゆえんです。

 第六の道は、智慧(ちえ)です。
「智慧」とは、私達凡夫の「知恵」ではなく、仏の「智慧」をいいます。大きな命に自分が生かされていることに気付き、生命の無常をさとり、ものごとの真実 をさとり、その道理に照らされて、煩悩や、おろかな行いや、苦しみを安らぎにかえる心の目覚め、はたらきをいいます。

 これらの六つの道は、別々の道ではなく相互に関係した道です。一つの道を歩み始めると自然に他の道のこともわかってくるといわれています。
 分かりやすく例えれば、布施という一粒の種で成長した草に、六輪の花(他の持戒や智慧などの五つの花)が咲くようなものです。
これらの道は、私達凡夫の愚かさや苦しみなどの煩悩を安らぎにかえてくれる方法です。

 昔の人々は、安らぎを自然の調和のなかに発見しました。そこで、春分の日と秋分の日に、平安を祈り、ご先祖様に感謝し、お墓参りをして供養したのです。
私達も、日々忙しい日を過ごしていますが、このお彼岸の間は仏道の修業期間として六つの道の一つでも実践して、安らぎを得たいものです。そして、この平安 をご先祖様とも分かち、供養する機会にしたいものです。

数多き人々のうち
    彼岸に達するは
        まことかず少なし
あまたの人はただ
    この岸の上に 右に左に
         さまよふなり (法句経 八五)


目  次
戒名と は
忌中と喪 中
死後の世界
白隠禅師 坐禅和讃
お布施とは
お宅 のご本尊様
七仏 通戒偈の話
勤行の 仕方
精進料 理
お彼岸
大 般若について
墓地と納骨堂
千 の風
法事の話
因縁と宿 業のお話
仏の教え

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 日本最初の大般若会は、大宝3年(703年)に文武天皇が、鎮護国家の為に行ったとあり、この後この法要が盛んに行われる ようになりました。

 大般若会では、仏法を守護する十六善神様に善き因縁を結んでもらおうと願いをこめて、まず最初にお経本のお題目を大声で唱え、転読(お経本を前後左右に 扇を開くようにめくること)し終わると、『降伏一切大魔最勝成就』(一切の悪い心を取り除き、清浄な人間として完成しますように)と大声で唱えます。

 このお経を転読するいわれは、このお経のなかの第三九八巻に
「般若波羅蜜多を聴受する時、諸々の大衆すでに法を聞き終わりて、誦持する者あり、書写する者あり、転読する者あり・・・・この因縁により、かの有情の霊 は、もろもろの悪趣において不堕の法を得、及び無上菩提において永く退転せじ」とあることによります。

 ところで、大般若経は今から約1300年前、西遊記で有名な唐の玄奘三蔵法師が、約4年の歳月をかけて翻訳したお経で600巻あり、4万8千あると言わ れる仏教のお経のなかで最も長いお経です。
 そして、このお経の真髄を要約したお経が、皆さんがよく知っている「般若心経」です。その説くところは「色即是空、空即是色」、つまりもの皆すべて『一 切皆空』であるということです。

 また、このお経のなかには、病気などの平癒の時に読むお経として知られている「理趣分経」や、法事の時に読む「金剛経」などがあり、禅宗では大切にして いるお経のひとつです。当寺の大般若経本は、今から200年以上前の宝暦12年(1762年)に購入された古い経本です。この法要後、「家内安全・諸縁吉 祥・交通安全」などの除災招福を願い、『大般若札』を自宅の玄関などの入口に貼っておきます。

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 墓地(納骨堂)と埋葬(納骨)・改葬について

 当寺には、墓地はありません。納骨堂になります。

 皆様方は、墓地(納骨堂)を求められるとき、普通の不動産を購入する感覚(所有権移転)で購入できると思われていますが、実は「墓地に関する法律」で、 墓地(納骨堂)の永代使用権を購入するのです。墓地(納骨堂)には、所有権はないのです。

 何故ないのかといえば、墓地(納骨堂)にそれ以外のものができることを防ぐためです。所有権になると所有者が勝手に墓地(納骨堂)を売買でき、購入者が 墓地(納骨堂)以外のものに使用することができるからです。

 だから墓地(納骨堂)として使用する限りは、永代に渡って使用できますが、墓地(納骨堂)として使用しなくなった場合や継承者がいない場合は、その使用 権は消滅します。しかし、継承者がいないからといって、即使用権が消滅するには、縁者に忍びないので、当寺の場合は、現在の納骨堂が存在するかぎりの永代 使用権(永代使用権料は別料金)を認めています。その後は、無縁仏を埋葬しているいわゆる共同墓地にはいれます。

 霊園に墓地を求められる場合は、その霊園の規約がありますのでまずその規約を読んでその規約に従ってください。よくトラブルになるのは、霊園を求めると きに、「宗派は関係ありません」とうたってありますが、購入後はその霊園と関係あるお寺に入檀しなければならないという場合があります。また、墓地に墓石 を建立されたときは、僧侶を呼んで開眼(かいげん)法要をします。そのときの僧侶は、菩提寺の僧侶でよいのか、霊園の契約僧侶でなければならないのかで す。菩提寺の僧侶の場合は、前もって法要の日時を確認する必要がありますので菩提寺や霊園業者との相談が必要です。

 埋 葬(納骨)について

 墓地(納骨堂)に遺骨を埋葬(納骨)するときには、墓地(納骨堂)管理者に、火葬(埋葬)許可書を提出しなければなりません。(墓地、埋葬等に関する法 律第14条)
火葬(埋葬)許可書とは、火葬の後火葬場の職員から渡された許可書がそのまま埋葬許可書になります。

 一般に遺骨の埋葬(納骨)は、四十九日法要の日に行われますが、この日に限る必要はありません。

 また、墓地(納骨堂)をまだ求めていない方は、墓地(納骨堂)を求めるまで、遺骨を自宅で安置していても結構ですし、当寺に預けても結構です。

改葬の手続きについて

 遺骨の改葬をするときは、まず市役所に行き、改葬許可申請書を取り寄せます。それから墓地(納骨堂)の管理者に埋蔵(収蔵)証明を依頼します。移転先の 墓地(納骨堂)の管理者の受け入れの証明を取得します。その後市役所から改葬許可証の交付を受け、移転先の墓地(納骨堂)の管理者に提出します。(墓地、 埋葬等に関する法律第5条)
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 「千の風になって」という歌が今流行してい る そうです。「千の風」という作者不明の英語の詩を日本語に訳したもので、歌詞は次のようになっています。

 「私のお墓の前で 泣かないでください そ こ に私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています。 秋には光になって 畑にふりそそぐ 冬はダイ ヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私 はいません 死んでなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています。」

この歌詞を短絡的に考えるとお墓参りを否定す るように聞こえますがそうではないと思います。訳者は故人の魂は、お墓だけにおるのではなく、この宇宙のなかのありとあらゆるところにおるということをい いたいのではないでしょうか。

奈良時代の僧の行基菩薩の歌に、「ほろほろと  鳴く山鳥の 声聞けば 父かとぞ思う 母かとぞ思う」があります。自然のなかに故人を偲んでいるのです。

 一休禅師の歌に、「今死んだ どこにもいかぬ  ここにおる 尋ねはするな 声はださぬぞ」というのがあります。「ここにおる」とは、故人と縁が あつたひとり ひとりの心の中をさしていると思います。故人の姿は見えぬけれども、また声はださぬけれども、故人は皆様の心の中にいつもおるのです。

また、中国の詩人である蘇東坡の詩に「渓声便 是広長舌 山色豈非清浄身 云々」があります。この詩の意味は、「谷川のせせらぎは法身仏の説法であり、山の色は清浄法身にほかならない 云々」と自然そ のままが、仏の教えそのものと歌っています。

いつも故人は私たちの傍におるのですが、私た ちは日常の忙しさにかまけて、故人をなかなか思い出すことができません。それで故人を静かに思い出すために、お墓があり、またお位牌があるのです。私たち 凡夫には形として見える方が故人を思い出し易いし、故人との対話もし易いと思うのです。だから、故人を偲ぶあなたが、お家の仏壇でお参りすれば、故人は仏 壇のなかのお位牌におり、お墓参りをすれば,故人もお墓におるのです。故人は常にあなたとともにおるのです。

この「千の風になって」の歌は英語の詩が基に なっているようですが、このような意味で非常に仏教的な歌であろうと思います。

ところで、今日私たちは当然のように仏壇で仏 様に手をあわせて拝みますが、お釈迦様が亡くなれてしばらくの間、現在のような人間の姿をした仏像は造ることは禁止されていました。いわゆる偶像禁止で す。なぜなら当時は神聖なるものを形ある姿にすることは恐れ多いと考えられていたからです。それで仏教の教えを意味する「法輪」を崇拝していました。それ でも時代がさがるにつれ、人々は崇拝するお釈迦さまの具体的な対象が欲しくなり、お釈迦様の足の形をならよいであろうと、足の形をした石(仏足石)を造る ようになり、それを拝んでいました。それからさらに時代がさがって、やはり人間の姿をした仏像を拝む方が親しみやすいということで、今のような人間の姿を した仏像が造られるようになったといわれています。

お墓がいらない自然葬なる葬儀が行われている ようですが、故人と縁ある人が故人を思い出す場所、対話をする場所として、やはりお墓やお仏壇(お位牌)という形があるほうが、参拝し易いと思うのですが 如何でしょうか。

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檀信徒の方か らよく法事はしなければならないかと尋ねられますが、全ての仏事は強制ではありませんし、また義務でもありません。だから法事はしなければな らないものではなく、仏教の教えからすると、自主的に主体的するもの、さらにはさせてもらうものなのです。
法事(法要)とは、広義には仏教の儀式をいいますが、一般には故人の霊をなぐさめる追善供養としての年回忌法要をいいます。

 追善供養とは、故人に代わって、遺族が善行を施し、故人の冥福(死後の幸福)を願うことですので、何も仏事を行うことだけとは限りません。
仏教では、善因善果・悪因悪果(善い行いには善い果報があり、悪い行いには悪い果報がある)をいいます。善根を積めば積むほど、仏様の位に近づくとされま す。それで生きている人は自分で善根を積めますが、故人ではそれができませんので、遺族たちが故人に代わって善根を行うのです。その善根のひとつが法事で す。

 さて、法事では故人のために、親戚など故人と縁があった多くの人が集まり仏事を営み、故人の冥福を祈り、その後の宴席(食事)で故人の思い出話をしたり し て故人を偲びます。
しかし、昨今家族だけで行う、また食事のない法事が多くなりつつあります。飲酒運転が厳しくなった今日では仕方がないことですが、故人と縁があったものが 集まらなくなったことは残念に思います。
なぜなら、法事は単に故人やご先祖様を偲ぶだけでなく、自分が修めたこの功徳を集まった他のものにもめぐらせて、自他共に仏果を得るということです。だか ら法事には集まったものにも善因善果を積ませるという意味もあるのです。このことを回向といいます。

 法事の日取りは、正当日(亡くなった命日)にするのが、一番いいのでしょうが、遺族や親戚などの都合もあり、今日では日曜日など皆様が集まり易い都合の よ い日を選んでいるようです。
法事は、命日より遅くなるよりは、早めに修めた方がよいといわれています。それは善根を早く積んで故人の冥福を祈るという理由からですが、多くの縁ある人 に集まっていただくことも大切です。

 年回忌

一周忌 (亡くなった日の満一年目です)
三回忌 (亡くなった日の満二年目です)  回忌は数えでいいます。
 その後、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌、三十三回忌、五十回忌を行っています。(地域や宗派によって異なります。)
五十回忌を終えると、ご先祖様として一緒にお祭りします。

 仏事での金封 の書き方

 法事で仏様にお金を包む場合は、不祝儀袋に「御仏前」と書きます。
神道など仏教以外の場合は、「御霊前」がいいでしょう。
葬式や四十九日までの場合は、故人がまだ仏になっていないので、「御香典」と書きます。
 正式には「御香奠」と書きます。奠とは、霊前に供物を供えることです。
僧侶に対しては、「御布施」と書きます。仏壇やお墓の開眼法要なども御布施と書きますが、この場合はお祝いなので、仏事といえども祝儀袋を使用します。

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因 縁と宿業という言葉は、世間では非常に悪い意味にとらえられているように思います。例えば、「因縁をつける」とか、「前世の罪過が現世に応報する宿業」と いったように。このことが仏教の教えは、何か怖い、あるいは暗いというイメージをもたせる大きな理由のひとつでしょう。因縁生起(略して縁起といいます) は、仏教の教えのなかでも、根本的な教えです。
 

縁起を歌った 和歌に一休禅師の次の歌があります。
 「春ごとに 咲くや吉野の 山桜 木をわりて見よ 花のあるかは」 
この歌の意味は、「毎年春になると吉野の山桜は美しい花を咲かせますが、その花は一体どこにあるのでしょうか。木を割ってみても桜の花はありません」と。
桜の花は桜の木を「因」として、春や雨などを「縁」として咲くのです。
 また、次のようなお話があります。
 
 お釈迦様は、チュンダという弟子が作った、きのこ料理の毒にあたって、大変苦しんで亡くなったといわれています。そのお釈迦様が亡くなる前のことです。
 このことを知ったお釈迦様の弟子達は、「お前の作った料理でお釈迦様が病気になった」とチュンダを非難しました。

 これに対して、お釈迦様はチュンダを非難する弟子たちに、チュンダの供養(ご馳走)がおいしかったこと、そしてチュンダにお礼をいって、
「わたしはチュンダの供養を食べたから死ぬわけではない。この世に生を受けたものは必ず死ぬものだ。命あるものは必ず死ぬものだ。それは、縁によって死 ぬ。咲いた花はいずれ散るが、散らした風雨は縁にすぎない。花が咲いたという原因があって、花が散るという結果につながる。」と諭したといわれています。

 これが仏教でいう「因縁」です。物事のすべてには、原因と結果がありますが、その間には縁が介在しているのです。このように、すべての物事は縁によって 起こり、縁によって滅するものですから、そこには善いとか悪いとかの判断や計らいはありません。判断や計らいをするのは人間の自己都合からです。

 「袖振り合うも他(多)生の縁」という諺があります。
 この言葉も誤解されている言葉としてよく挙げられます。道行く知らぬ人と袖が振り合うことも縁によるという意味ですが、「他(多)生」を「多少」と思っ ている方が多いといわれています。
 他(多)生の縁とは、前世からの因縁、輪廻転生して結ばれた縁をいいます。私たちは過去の永い時間のなかで結ばれた自分が知らない縁によっても生かされ ているのです。

 また、「業」とは、人間の行為を意味します。この世で行ったすべての行為をいうのです。人が死ねば肉体と一緒に魂も消滅してしまいますが、その人が生き ている間に、この世で過ごした「業」は残るのです。それで生まれてくるまでの多くの前世(これを宿世といいます)での業を、宿業といいます。
 因縁と宿業には本来善悪はありません。自分にとって悪いことも善いこともすべて因縁や宿業の産物なのです。ところが、この世の都合の悪い面のみが「宿 業」と解され、悪いことは宿業と流布されたのです。それは宿世の因縁によって決められて変えることができない因縁の業(原罪)として。
 因縁と業を正しく理解すると、私たちは自分の計らいで生きているのではなくて、生かされているのだと気づくのです。

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世間には三種 の人がいる。
 自ら体験する身証の人と、智慧によって達する見至の人と、信仰によって達する信解の人である。この中のいずれが勝れていると思うか。
「信解が最も勝れていると思う。なぜなら、この人の信仰は最も勝れているから」
「身証が最も勝れていると思う。なぜなら、この人の禅定は最も勝れているから」
「見至が最も勝れていると思う。なぜなら、この人の智慧は最も勝れているから」
「この三種の人の中、この人が勝れていると言い切ることは難しい。なぜなら、信解の人が聖者に達し、身証と見至の人が、そこまでいたらぬこともある、これ と反対に、身証の人が聖者になって、信解と見至の人が、そこまでいたらぬこともある。見至の場合も同様である。ゆえに三種の人を比べて、いずれか勝れてい ると言い切ることは難しい。」と。
 人の価値はひとつの基準では計れないし、優劣の程度も判断することは難しいと教えます。

 世間の病人を三種に分けることができる。
「一は、よい食物、効き目のある薬、ふさわしい看護などを得ても得ないでも治らない病人である。
二は、よい食物、効き目のある薬、ふさわしい看護などを得ても得ないでも治る病人である。
三は、よい食物、効き目のある薬、ふさわしい看護などを得れば助かり、得なければ助からない病人である。
この第三の病人がいる為に、第一の病人にも、第二の病人にも食物、薬、看護が与えられるのである。」と。
 同じ縁(条件)を与えても結果は違ってでてきます。結果はその条件を与えた後でのみ解ることです。だからよい条件は、全ての人々に与える必要があると教 え ます。

 仏法の上においても三種の人がいる。
「一は、仏に遇うても遇わないでも、仏の教えを受けても受けなくても、それにかかわらずによき道に進み得ぬ人である。
二は、仏に遇うても遇わないでも、仏の教えを受けても受けなくても、それにかかわらずによき道に進み得る人である。
三は、仏に遇うて、仏の教えを受ければよき道に進み、仏に遇わず、仏の教えを受けなければよき道に進み得ぬ人である。
 この第三の人がいるから、第一の人にも、第二の人にも法が説かれるのである。」と。仏の教えを説くのは、多くの人々を導かんがためであり、そしてそれを 必要としている人がいるからである。しかし仏の教えを必要としない人の存在も認めてい るのです。

このような理由から、仏教ではすべての人々に同じように教えを説くのです。

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