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境内に咲いた花
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最近、新聞やテレビで毎日のように、殺人事件が報道されています。それも親が子供を、反対に子供が親を殺すという、「家庭内殺人事件」をです。少し前では、「家庭内暴力」が報道の主流でしたが、今や殺人が主流になり暴力沙汰では、マスコミに載らなくなるほどになりました。それほど家族を育むはずの家庭が崩壊してきている証拠です。簡単に人を殺すという、命の大切さが失われてきているように思います。
そこには自分だけがよければよいという個人的エゴイズムが、その背景には、自分たちの命を守るためには、平気で他者の命を抹殺してもよいという集団的エゴイズムの社会的風潮があるように思えます。今の世の中は資本主義経済の発展の下、物の大量生産が発展してきたため、物の均一化が進み、それがひいては文化にもおよび、世界的規模で質の同一化、価値観の同一化が進んできて、自分たちが認める価値以外は認めないという風潮が増大してきているように思います。
その究極が戦争です。世界各地で起こっている戦争の姿を今ではリアルタイムにテレビで見ることができ、多くの人々が殺されている現状を目の当たりにみるに、そこからは戦争の悲惨さを感ずるよりも、逆に人を簡単に殺すことができるという「命の大切さ」が失われていっているように思えます。 |
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天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)
「天上天下唯我独尊」とは、お釈迦様が誕生されたときに、天と地を指差し、七歩歩んで唱えたといわれる言葉です。毎年四月八日(当寺では五月八日)の花祭り(釈迦誕生会)に、天と地を指差した誕生仏に甘茶をかける法要をおこないますが、そのお釈迦さまの姿がそれです。
このことは、お釈迦様の奇跡のひとつといわれていますが、その是非はともかく、この言葉を文字通りに解釈すると、「この世でただ我一人尊い」となり、自己中心的な言葉と誤解されやすいのですが、本当の意味は、「世界中のみんなひとりひとりが、我ひとり尊い存在である。ひとりひとり尊い存在であるがゆえに、逆にみんながひとりひとりを尊い存在として大切にしなければならない」という自利利他の言葉なのです。
またお釈迦様の言葉を集めたといわれる法句経(第一八二句)にも、「ひとの生をうくるはかたくやがて死すべきもののいま生命あるはありがたし 正法を耳にするはかたく 諸仏の世に出づるもありがたし」(友松円諦訳)とあります。人に生をうけたことの希なることを形容して、爪上の土(つめのうえのつち)といいます。菩提和讃に詠われている、「それ人間の身を受けて この世に生まれ来ることは 爪の上端に置ける土」がそれです。
この意味は、「この地球上には、無尽蔵の土がありますが、そのなかで私たちの爪につく土は、本当に微々たるものです。それと同じで、この地球上には多くの生物が生きていますが、そのなかで私たちが人間としてこの世に生を受けたことは、非常に希なことなのです。だからこそこの希な命を大切にしなければなりませんよ。そしてこの大切な命を、大きく開花させなければなりませんよ。」というものです。
そして、他人との関係においても、「袖振り合うも他(多)生の縁」です。
この言葉も誤解されている言葉としてよく挙げられますが、この意味は、道行く知らぬ人と袖が振り合うことも縁によるという意味です。誤解されるのは「他(多)生」を「多少」と思っている方が多いからだといわれています。
他(多)生とは、前世からの因縁、生まれてくるまでに多くの前世を輪廻転生して結ばれた縁をいいます。
私たちがこの世に生まれてきたのは、「ご先祖の血みんな集めて子が生まれ」です。
私たちは今日本に住んでいますが、先祖はなにも日本人とは限りません。中国や朝鮮などの外国からの渡来人もいます。また日本の文化は、日本人だけで生まれ育ったのではなく、長い歴史のなかで多くの国の人々や、文化を取り入れながら育んできたものです。それは、この地球上のすべての国でも、人々でも同様です。この地球上に存在したもの、今存在するものの縁で、今の私たちは存在しているのです。そう考えるならば、この世にあるすべての「命」を大切にしていきたいものです。
自らの信ずるものはたとえひとつであっても、人それぞれに価値観が違い、人それぞれに信ずるものが違っていいのだ、違うのが当然なのだという立場で、他人の存在を認めなければならないと思います。それは、家庭のなかでも同じことが言えると思います。家族が共通の価値観を持つことは大切ですけれども、家族といえどもすべて同じ価値観とはならないのです。それをとりわけ親が子供に、親の価値観を子供に強制することから、子供が家庭にその居場所をなくし、家庭崩壊が始まることが多いのではないでしょうか。そしてそこから、家庭内暴力・殺人に発展していくと思います。
詩人の金子みすずの詩のなかに「みんなちがってみんないい」ということばがあります。また昨今「オンリーワン」という言葉が流行していますが、お釈迦さまは、二千五百年前に既に我々にそのことを説いてくださっていました。
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